[翻訳-更新中]Adam Curtis Interview
アダム・カーティス インタヴュー 2017-06-30
by ジェファーソン・ハック(『DAZED』創設者)
訳註:
Adam Curtis(b.1955)は、イギリスのドキュメンタリー映画監督。オックスフォードのPhD中退。キャリアを一貫してBBCでのドキュメンタリー制作で活躍。作風としては大量のアーカイヴ映像を怒涛の勢いで繋ぎ合わせ、多岐にわたる大衆音楽をスコアとして交えながら強迫的なテンションで社会学、心理学、哲学、政治史を並行して扱うかなり特異なスタイルで知られる。アラン・クラーク賞を含めBAFTAを5度受賞した。日本では殆ど知られていないが、アメリカ及びイギリスのネオコンと「テロとの戦い」に焦点を当てWW2直後の文脈から執拗に追った『The Power Of Nightmare(2004)』がNHKで放映されている。余談だが、22年2月にウクライナ侵攻が始まった際にはカーティスが2014年に製作した『Oh Dear(訳註;あらまあ)』でのプーチンの側近ウラジスラフ・スルコフの経歴やポスト情報戦理論への寄与といった功績にフォーカスした内容が先見的であると話題になった。
DAZED(デイズド)は1991年創刊のイギリスのファッション・ライフスタイル誌。創刊当初はDazed & Confused。空港とかに必ずi-Dと一緒に置いてあるタイプのファッション誌。80年創刊のi-Dよりも若干カウンターカルチャー寄りでセンスも尖りがち。
出典:
https://www.jeffersonhack.com/article/adam-curtis-interview/
Adam Curtis(以下Adam)
あなたの雑誌はITと反体制文化をルーツとしている、そうでしたね?
DAZEDは確かに、ITやOZといった雑誌の精神にインスパイアされています。かつてはああいった雑誌のアーカイブを眺めるのがとても好きでした。
Adam あれらの雑誌が目を付けたのは、もう人々は政治の問題などではなくカルチャーについてしか話さないという事実、もしくは、人々はカルチャーの領域の内側でしか政治について語らないという事実でした。彼らはいつでも映画と音楽を参照するだけでした。それは今まさに我々がいる地点であり、私たちはその末路に立ち会っているのかもしれません。現段階での私の見解は『Dazed & Confused』の創設者が耳にしたくないものとなるでしょう。というのも私は、文化はもう既にただの言説、共用言語、人々がお互いに喋るための何かでしかないことを…
…ただ自らのアイデンティティと紐付けるものになった、ということですか?
Adam その通り。つまり誰かと会って、その人がボウイのファンだと言う時、あなたは「ああ、彼のファンなら私は好きだ」か「彼を好む人は嫌いだ」のどちらかの形で思考する。その時に死に絶えたのは、人々が政治について、政党や労働組合について互いに話し合う習慣であり、かつてはそれだけが何かに参画することを意味したのです。私はしばしば、文化はかつてコンフォーミスト(体制順応主義者)たちが政治に関してそう表現したのと同程度に行き詰まっているのではないかと考えます。
彼らは政治の言説があまりに疲弊すると感じてアンチ体制順応主義者となったのでしょう。
Adam 疲弊していたし、堅苦しかったのです。それは人々へ何かに参加するよう要請するものでしたから…そして誰もが自分の好きなものをもっと自由に選びたいと思い始めた。それが個人主義の台頭でした。
あなたは『Hypernormalisation(訳註;超常態化)』の中で個人主義のモデルとしてパティ・スミスを例に挙げましたね。
Adam ええ。パティ・スミスの書いた本(『Just Kids』 =キッズだけで)は非常に興味深いです。と言うのも彼女はそこで、ロバート・メイプルソープを筆頭に「自分の気持ちと乖離している」という理由で組織的な運動に参加したがらない人々について書いているのです。彼らは、システムに対する自分自身の不満を表現したかったのです。実のところ彼らの思想と言えるものはそれだけでした。なぜならその後に彼女が何をしたかと言えば、外で自らの不満を表現するという文化をこさえて実行するというただそれだけの事だったのですから。もちろん、それによって人々は団結し、彼女のライブに足を運び、アルバムを買いましたが、それはまさしく「自己表現」でした。80年代は誰もがスウェットシャツか何かで自分を「表現」していましたね。私は、我々は今その吸い殻に到達したのではないかと疑っているのです、なぜなら今やそれが全てなのですから。そして今、あなたは……文化がいかに行き詰まっているかに気付いていますか?最近はリメイクと言わず、リブートと言いますが、70年代の映画を絶えずリブートしていますよね。
何もかもがリメイクですね。
Adam ええ、確実に。『ストレンジャー・シングス』というドラマシリーズを見た時のことを今思い浮かべているのですが、これは実に90年代に現れた現象を全て制度化したものだと言えるでしょう。あの頃、人々が映画館に行ってタランティーノのような作品を観ては、帰り際に「そう、あれはジャッキー・ブラウンの引用なんだ」とか「あの元ネタは……」とか言っていたのをあなたは覚えていますか?
アート業界ではそれを「メタ」と言っていましたね。
Adam 彼らはメタという言葉が大好きで、彼らが言うにそれはとても "メタ"なんですね。彼らが言わんとしているのは、「よく知っている」ということです。文化が「知る」ことと同義になった瞬間、文化は行き詰まった、自らの死に署名するようになったと言えるでしょう。それは際限なく常に “メタ"になろうとするのです。そして、ある時点でハリウッドは、"メタ"が指し示しているのは実のところノスタルジアであることに気づいた。ノスタルジア、の高尚な言い方が"メタ"なのです。
私はある程度の期間にわたってパティ・スミスにインタビューしたことがあるのですが、彼女の話で興味深かったのは、彼女が成功の絶頂期にシステムから抜け出し、ソニック・スミスとデトロイトに住み、養育のために音楽のレコーディングやツアーを中断していたことでした。そして、90年代後半に再びこのシステムに戻ってきたのです。私が彼女に会ったのは2000年代のことです。その時のことを話したら、彼女は「カルチャーは自ら魂を売ってしまったと感じる」と言っていました。彼女の言い分は、自分たちは反企業、左翼などの政治的イデオロギーのために戦っているが、彼女とつながりのあった多くのミュージシャンやアーティストは企業のスポンサーになったりメジャーレーベルと契約したりして、そのシステムに自ら魂を売り渡してしまっている、ということでした。
Adam 恐縮ですが、私は彼女の言い分を一切受け入れません。彼女へのリスペクトがあることを断った上で言いますが。私は彼女を素晴らしいアーティストだと思いますから。しかし、彼女の自著を注意深く読むと、彼女が1960年代に左翼の大きな政治運動だったブラックパンサーやSDAのような革命的な政治運動に参加することからシフトしていったことが書かれています──それらの組織は70年代初頭には敗退して、結局、全員が逮捕されるか刑務所に送られるか自爆テロをしていました。彼女は自身が主張していた思想から、「個人としての私」が自己完結した表現者となってシステムに対する批判を過激に表現する という考え方にシフトしていったのです。その結果起こったのは、70年代に隆盛した「私個人」が欲することをし・欲することを表現できるのだ という考え方において彼女は先駆的なかかりつけ医となった、ということでした。しかし、そこで生じるのは、自分をどうやって表現すればいいのかを理解するのはあなたがパティ・スミスのように洗練された人物でない限り非常に難しいだろう、という問題です。そして、その時実際には──1970年代の経済危機の最中、消費資本主義が辺りをぐるりと見渡して「皆に同じ商品を与えて全員が同じように見せる代わりに、今度はこの新しい何かを与えよう、たくさんのパティ・スミスが “自分を表現したい”と突き進む状態に向けて」と言い放ったわけです。そしてこうも考えた、「待てよ、つまり彼らにさまざまなものを与えてゆけば、彼らもまたさまざまな方法で自分を表現できるじゃないか」と。この時、消費資本主義は謀略ですらなくただマーケティング理論の至極論理的な結実に過ぎないのですが、当然そこから「待てよ、つまりここから利益を飛躍的に増大できるはずだ、なぜなら更に大量の選択肢を創出すれば人々はもっとさまざまな方向で自己表現できるからだ」となるわけですね。つまり、おそらく私の論点はこうです。パティ・スミスは、自己表現がわれわれにできる最も「リアルな」行いであるというアイデアを提示すると同時に、それを消費資本主義がかなり速い段階で取り込むことを結果として助けた。なぜなら、どうやって自分を表現するのか、その方法を考えるのは殆どの場合非常に難しいことだからです。そして、ナイキやその背後にいるマーケテイング担当者たちは彼女の成し遂げたことをすぐさま取り入れて制度化しました。私にとっては、バンドが大企業にセルアウトした云々の話は、実際に起こったそれよりも大きな事象に比べたらあまりに些細で取るに足らないこととしか思えません──個人主義の制度化、という事象に比べれば。
階級を超越できる存在として。
Adam そう、それを飛び越えられるものとして。またそれは、持ちうる価値やライフスタイルといった概念を通して、内面的に自身のことをどう感じているかという点で人々を分断しよう、という発想です。Faceのような雑誌がかなり速い段階でそれを発見したのは確かです。人々はさまざまなライフスタイル・グループの一員になり、自分自身を表現したいと望んでいた。80年代前半の破れたジーンズもその一環だった。それは見事に皆を虜にしたし、また安心を伴うものだった、なぜならもしあなたの住んでいる場所が──つまり、私は郊外で生まれたのですが、もしあなたがそういう場所で自己表現をしたかったら、何らかの方法を見つけ出す必要があったはずですから。
着ている服や聴いている音楽によって自分を定義していた、ということですね。
Adam 音楽は、自分のアイデンティティを定義するための絶対的な中心だったはずです。そして階級が消えた代わりに文化がそれに成り代わった。 そのゴッドファーザー・マザーは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、そして初期のパンクといった人々でした。このような言い方をするとまずいでしょうが、サッチャー夫人とパンクの両者は、自分達よりもずっと大きなもの、隆盛する個人主義の尻馬に乗っていたのです。
というのも、『Dazed & Confused』を始めたときに私が見たのは、『フェイス』と『i-D』が絶頂期にあったということでしたから......。
Adam それはいつですか?
90年代前半、ちょうどサッチャー政権が終わった頃です。あれは人頭税暴動の頃で、私たちが『Dazed & Confused』を始めた時、自分たちの方法がうまくいっていないという感覚がありました。どんなバンドにハマっているかとか、どんな服を着ているかとかじゃなくて、何を言ったか、何をしたかが重要でした。だから、外見ではなく行動が自分を定義するし、何かのために立ち上がらなければ、埋没してしまう。そして、あるグループに加わること、服装を同化させることでそれらしく見せ、それなりのライブに間違わずに参加することでそれらしく振る舞うことの弱さは、浅はかで、表面的で、既に時代遅れでした。私たちがやりたかったのは、より深い意義の感覚......私たちなりの真正性の定義......を、私たちが誤魔化しだと感じていたものへ注入することでした。私がもっと注目していたのは、『インタビュー』誌や『ナショナル・ジオグラフィック』誌のような誌面で、つまりより人類学的な方法でユースカルチャーを見て、よし、じゃあエネルギーはどこにあるのか?誰が面白いことをやっているのか?どうすれば彼らにインタビューし、実際に彼らにストーリーを作ってもらうことができるのか?アーティストにページを与えるにはどうしたらいいか?どうすれば中間項をすっ飛ばして、ジャーナリストと読者の間にある壁を取り払うことができるのか?そういうことを言っていたんです。今思えば興味深いのです、なぜならそれ自体が既に罠になっていたような気がして。
Adam あなたが始めたことが、既にかなり制度化された地点まで来ていますね。
[更新中…]
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